杉浦裕樹の?ブログ

横浜でNPOの仕事をしながら思うこと

自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない

自律と自立を考える昨今。

 

「自立」についてひとつ。

 「自立」の反対語は「依存」と考えない と、新生児仮死の後遺症により脳性まひの障害を持つ熊谷晋一郎さんは言います。

“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて、その便利さに依存していることを忘れているわけです。

 実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。障害者の多くは親か施設しか頼るものがなく、依存先が集中している状態です。だから、障害者の自立生活運動は「依存先を親や施設以外に広げる運動」だと言い換えることができると思います。今にして思えば、私の一人暮らし体験は、親からの自立ではなくて、親以外に依存先を開拓するためでしたね。

自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと

 

 

「依存」を他の人たちに支えられることと考える。

言葉のイメージ、言葉によって思い起こされるイメージは多様。

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